わたしの癌日記

2015年8月9日に左胸にしこりを見つけ、9月15日に全摘手術したわたしの日記

読みました

カーテンコール

カーテンコール

この女優さんを初めてみたのはたぶんクイズ番組。
かわいいけど、容赦なく、ニッコリ笑顔でパシッと答えるイメージ。そして、姿がイグアナに見えてしまう自分と娘に対して、どうすればいいかわからない美しい母親。命かける愛に身をまかせる女性。
ワインでできている、なんて時に茶化されたりしていたけど、女優という非日常を曇りなく魅せてくれた素晴らしい俳優さんだと思う。

標準治療を選ばないと、患者仲間からも責められたりすることがある。癌患者同士、なにを揉める必要があるのかと思ってしまうけど、病気になったからといって人はそう変わるものでもなく、結局はこれまで生きてきたようにしか生きられないのだ。
女優さんは女優さんとして、最期まで本気で生きた。

本の中にたくさん共感できるところがあったが、特に病気でも病人ではいたくないというところ。本当にその通り。わたしは抗癌剤QOLどころか、命を落としかけたので、すごく身にしみる。数パーセントの可能性でもかけてみたくなる気持ちと、わけのわからない副作用に振り回されてしまう結果。
そして、西洋医学以外の可能性を閉ざさない表現。藁にもすがる、というのは、溺れかけた者にしかわからないのだと思う。そこを理解してくれるパートナーがいてくれたこと、彼女は幸せだったろうな。
すごく痩せていた姿をテレビで何度かみたけれど、そのどの時でも、彼女ははじけるような笑顔で、その笑顔が記憶に遺っている。

自分の人生を、生ききった人生を読ませてくれて、ありがとうございます。

病気

身体は病気だけど、心は元気だし、自由だし、わたしは「病人」じゃない。いまはまだ働けないけど、社会復帰もしたいと思って準備もしている。なのに、過干渉な母親に苛立つ。そして、管理下に置こうとする父親にも苛立つ。そもそも、そういうのがイヤで、自分で仕事を見つけて、家を見つけて、東京で暮らしていたんだった。身体が元気になるにつれて、そういう苛立ちがどうしても抑えられなくなる。「心配」の名のもとにほんのすこしの自由もない。母親からは「病気でかわいそう」という同情も感じてしまう。
ホルモン剤の影響で更年期のような苛立ちがあるとは聞いているけれど、これはそれだけじゃない。
わたしは、ここまで自分の足で立って歩いてきたのに、急にすべてが親の管理下に置かれてしまったことへの苛立ち。不甲斐ない自分への苛立ち。思うようにならないことへの苛立ち。
ワガママなのかもしれないけれど、心配もありがたいことなのだけれど、1人の大人として、すこしはほうっておいてほしい。24時間365日管理しかまうのは勘弁してほしい。

脳室内脈絡叢嚢胞

診断がでた。脳室内脈絡叢嚢胞。
数も多く、脳室内をおおめに占めている。悪性かどうかは不明だけど、いますぐどうこうはない。とりあえずホッとしたけど、3ヶ月ごにまたMRI検査。大きくなったりしませんように。

脳の中心に、嚢胞がやはりあるようだ。
造影検査を受けることになった。
大学病院の予約はいっぱいで、でも年内には予約できたので、ラッキーだと思う。不安なままでお正月じゃあ、去年と同じだから。悪性なのか良性なのかだけじゃなく、転移じゃないのか、めまいやふらつき、耳鳴りや頭痛は、何が原因なのか、不安だ。