激痛
癌は「大病」と言われるのだけど、わたしの癌は痛みはなかった。もちろん手術や抗ガン剤副作用での痛みはたくさんだったけど。それ以外はあんまり身体に症状も特になかったし。
ところが、昨日はものすごい激痛で目覚めた。
ここのところ、みぞおちや腰の痛み、吐き気や食欲不振、身体のだるさ、尿がオレンジ色と、すこぶる体調がわるかったんだけど、抗ガン剤やホルモン剤の副作用もあったから、そういう不調はなんとなく受け入れてた。
目覚めたのは朝6時。刺すような右側下腹部の痛み。1カ所がピンポイントで痛い。紛らわせようと身体をウネウネとねじって、体勢を変えてみるが、効果なし。
6時10分。痛みに耐えきれず、両親の寝室へ。痛みで立っていられず、母のベッドに倒れ込む。痛みとともに、吐き気、寒気が出てくる。
6時30分。痛みは酷くなるばかりで、どんなむきでも痛い。救急病院へ行くことにする。が、自分で立ち上がることもできない。結局、救急車を呼んでもらい、救急病院へ。搬送されるとき、何度か吐く。意識もハッキリしない感じに。
病院到着。痛みのあまり、頭はボーッとしてきて、でもお腹はとても痛いので、身体をよじる。医師が来るまでのあいだ、救急隊員の「先生が来るまで、着いてますからね」という温かい言葉にじんわりする。痛みが続く。耐えきれず、うつ伏せにまるまる。
医師が来て、「ちょっと痛いよ〜ごめんね〜」と背中をどん。激痛。あおむけで、お腹も抑える。念のためレントゲンを撮ることになるが、おそらく結石でしょうと。強い痛み止めを点滴してもらう。
癌の術前検査、1年検診のPETで両方の腎臓に石があると言われてはいたが、動かなければ問題ないとのことだったので、おそらくそれだ…
大した大きさではないが、石が腎臓から尿路へ降りてて、その痛みと、片方の腎臓が炎症をおこして腫れている。尿路結石との診断。
今日は鈍痛になったけど。昨日はとにかく痛かった…
足のつめ
抗ガン剤投与中、爪の保護のために手はアイスグローブなる、要は氷の手袋で冷やし続けるのだけど、わたしのかかっている病院は、足は冷やしてくれない。1回目は自分で冷やすようにアイスノンとかでやったけど、その後は副作用がひどく、再入院になったので心折れてしまい、足を冷やすのをやめてしまった。
そうしたらこんなことに。
1枚目は2016年1月、2枚目は3月頃。
見えづらいけど、爪の中が変色していて、このころはずっと痛みが出ていた。病院で、回診のたびに痛みを訴えたけど、何ができるわけではなく…結局、数ヶ月後に爪はこうなった。二枚爪っていうのかな?傷んだ爪の下に新しい爪ができて、生え変わる感じ。
ここまできたら痛みもないかと思いきや、ひっかけてはがれることがあって、これまた痛かった。2月に抗ガン剤おわって、いま9月で手足ともに爪は生え変わりました。手の爪のガタガタは7月にはなくなって(伸びて、切った)、足の爪はつい先週に古い部分がはがれて、抗ガン剤爪はなくなった!さよなら!抗ガン剤!!
なにかのために…
「なにかのために…」
「だれかのために…」
そう思ってブログに記録してきたから、
まおちゃんが書いていることはとても共感できる。
わたしも治療に迷ったとき、ネットで検索してたどり着いたたくさんの先輩方のブログに助けられた。今はこんなだけど、時間が経てば、元に戻れるんだ!って勇気をもらった。
癌に支配されず、身体は病気でも、こころは「病人」にはならず、わたしたちはわたしたちらしく生きていける。
いつか死ぬまで、わたしを生きていける。
わたしひとりのとき、家族と一緒のとき、ペットと遊んでいるとき、食事の支度をしてるとき、お昼寝してるとき、当たり前の時間を当たり前としてじゃなく、感謝して送れるようになったのは、癌になったから。
明日は当たり前じゃない。そうわかったから。
病気になって、そこがいちばん感謝するところ。
まおちゃん
まおちゃん、なにを話すつもりなんだろう。
病気なんだから、まずはムリはせず、したいようにしたらいいと思う。身体のこと、家族のこと、だいじなことからすればいいと思う。
乳がんは、初期と、浸潤がんとではまったくちがってくるし、ひとまとめにされるけど、ひとりひとりちがうから。
自分をだいじに。
ステージⅡB
乳がんはステージと悪性度。
おなじ「乳がん」という診断でも、その後の治療や生存率はまったく違ってくるのだけど、そとからみるとおなじにみえるらしい。
わたしはまだいきます。
抗ガン剤 TC後の頭髪の記録 3か月目
丸坊主にして3ヶ月目にはいる6月になると、もう帽子がなくても大丈夫!と家族には言われるが、なんとも心もとなくて、外出時はニット帽はかぶってた。なので、実質ウィッグをつけてたのは、抗ガン剤中で髪が抜け始めた11月の終わりから、2月末に丸坊主にして、頭頂部が生えてくる4月、5月までの半年足らず。それも、入退院のときは帽子で事足りたし、副作用がひどく再入院したりして、外出もままならなかったので、ほとんどウィッグを使うことにはならなかった。
それよりも、かわいい帽子を探すことに苦労して、とくに日常生活では、肌に縫い目が当たらず、洗濯ができ、かぶったまま眠れることがだいじだったので、市販の治療帽子より、自作の帽子を毎日かぶった。
3ヶ月目